竹村晃一 個展
TAKEMURA Koichi solo exhibition

ショーウィンドウ
Display window

2018年4月10日(火)から15日(日)
12:00から18:00


KUNSTARZT では、竹村晃一の個展を開催します。
竹村晃一は、イメージが氾濫する現代において、
写真のあり方を考察するアーティストです。

風景の中に人を配置することや、人に合う風景を
合わせるといった、これまでの撮影の経験から、
「風景」と「人」の関係性を考察する
「風景の人 / 人の風景(2017)」、
ある与えられた“場”の特性を引き出すゲームを
クリアするかのように撮影した「Newbies play(2017)」、
Google Street Viewで、見ず知らずの世界中の風景を
スナップ写真を撮るようにモニター越しに撮影した
「Unknown town(2017)」。
本展では、自らがカメラで撮影したイメージとネット上から
ダウンロードしたイメージを、あえて同列に扱うことによって、
我々の“更新してしまっている”イメージに対する感覚に
気付かせてくれます。(KUNST ARZT 岡本光博)




カメラロール

2018
iPhone写真アプリ




eyeful

2014-
写真・映像 17'00”




finder

2018

映像 1゜30'
snsで現れるimageにひたすらリアクションする映像




snap

2018

映像 (21.5インチ:15'00”)
スライドショー (9.7インチ:16'00”)
Google street viewで歩く動画と選択したimage




stray dogs

2017-
スクリーンショット・スライドショー
Google street view で拾った犬たちのimage




window shots

2018

スクリーンショット・スライドショー 40'00”
Instagramのロード中に現れたimage




window shots

2018

スクリーンショット・スライドショー 40'00”
Instagramのロード中に現れたimage





【展覧会テーマ】

imageを選択すること



【展覧会コンセプト】

目の前にある光景からしか反応できない私は、
写真に撮らざるを得ないほど
魅力的な光景に遭遇した時だけ、
シャッターを切っていた。
その時なるべく私的な狙いや文脈などは排除し、
もはや撮影者の自分自身すら存在しないほうが
良いとすら思って、その魅力的な光景を写真に収めていた。
自分すら存在しない方が良いと言いながらも、
私はそうした「遭遇」を心待ちにしている。
ならば私は、そうした光景と出会おうとしているのか?違う。
出会いとは、意図されたものだ。私は意図せず遭遇したいのだ。
しかしよく考えてみると、
これらは紛れもなく私の「選択」の上で成り立っている。
私は、遭遇を尊重しながらも、無自覚に被写体を選択し、
それを遭遇と呼んでいた。
遭遇を待つ私と、無自覚に選択している私は、
撮影の中で自分自身の存在を消そうとしているのではなく、
目の前の光景と共犯関係を結ぼうとしていたのだ。
そのような遭遇と選択が共犯したimage、
それが私が見たいimageだったのだ。
私は知らぬ間に遭遇と選択を繰り返して撮影をしてきた。
そして、個展の開催にあたって
ようやく自分の「選択」を自覚した私にとって、
目の前に広がる光景はそれでも魅力的で、
もはや私は無力だろうと、そこからまた選択し続けるのだ。




京都新聞 2018年4月14日 平田剛志さん「竹村晃一」展評




『風景の人 / 人の風景』(インクジェットプリント/2017)

私は風景を多く撮る。ただ、これまでの撮影の中で、
この風景の中に人が居たら、と想像する瞬間があった。
私は今回、それを『風景の人』と考え、撮影をしてみた。
しかし、撮り進めていくと「人」と「風景」の両者に
引っ張られる感覚になった。
ここで、私は『風景の人』のほかに
『人の風景』の存在に気が付いた。
たとえば「人」を撮るなら、背景(風景)が無い方が
余計なイメージをつけなくて済む。
しかし、「風景」を伴う撮影となると、その風景を人に
合わせるようになる。この感覚が『人の風景』だ。
今回の撮影でも、そのようなことが多々あった。
はたしてその場合、撮影者は「人」と「風景」の
どちらを撮っているのだろうか。
風景の人/人の風景、干渉し合う両者を展示する。



【アーティスト・ステートメント】

インターネットで見られるimageの氾濫に始まり、
私たちにとって、写真を撮る行為や
写真の見方が変化してきた。
私はそのような背景から、
自身が撮影をしていないimageも選択し、
作品として提示する。
最近は、個人的な世界との繋がり方や私的な眼差しと
、それがもはや乱立しているSNSや、Googleなどに見られる
全体的なimageの捉え方を作品の中で共存させることで、
個と全の並列化を模索している。




『Newbies play』(インクジェットプリント/2017)

 新しいゲームをプレイする時、できるだけくまなく
チェックすることで、フィールドのことを理解する。
今回の作品は、ゲームでいう体験版をするような感覚で作った。
場所の片鱗を探しながら撮り歩き、
その地の生活者とまではいかないが、
ある程度までは場所に慣れ、そして去る。
ある依頼をきっかけに、とある地域での
二週間の滞在して撮影をすることになった。
その時、その場所や状況に対して
積極的に受動的になっている自分を感じた。
逆を言えばそれは、自分と場所との特別な関係性ではなくて、
私がここにいて、ただ撮っている、
場所に撮らされているような感覚である。
 私は、その場所の新参者として、
ゲームの体験版をプレイするように、
そのフィールド自体を意識し、積極的に受動的に場所に
撮らされることで、生活者には慣れ親しんで
当たり前となってしまった場所を意識する。



経歴

1994年 滋賀県生まれ
成安造形大学情報デザイン領域写真コース在籍

展覧会
グループ展
2015 《リ メイク展》、成安造形大学・キャンパスが美術館
2017 《まばたきねん》、MEDIA SHOP|gallery
2017 《imag》、MEDIA SHOP|gallery
2018 《シャイン シャイン シャイン》、成安造形大学




『Unknown town』(インクジェットプリント/2017)

私は海外に行ったことがない。
でもハワイもパリも中国もブラジルもなんとなくわかる。
教科書やニュース、SNSで見たことがあるからだ。
そして今ではGoogle Street Viewで見ず知らずの
世界中の風景の中を歩くことができる。
ということで私は、スナップ写真を撮るように
モニター越しの風景をカメラで撮ってみることにした。
しかし、知らない国を歩いていくうちに、
本当にこんな場所は存在するのだろうかと思うようになった。
私には、平面のRGBモニターで再現された奥行きや、
写真のリアリティーでしか成り立たない
この街は逆に怪しくも見えた。
私たちは写真の中にしか存在しない
「未知の街」に囲まれている。
私たちは「世界」をなんとなく理解してしまっている。