平松大佳 個展 「A kind of magic」

HIRAMATSU Taiga solo exhibition "A kind of magic"

2014年6月10日(火)から15日(日) 
12:00から19:00 (最終日17:00まで)




Rest in Place

2014
FRP



KUNST ARZT では、平松大佳の個展を開催します。
平松大佳は、なんでもない日用品の組み合わせの違和感を“
独特の鋭利な感覚”で増幅させるアーティストです。
一見、ポップでカラフルな子供用のおもちゃが置かれているが、
よく見ると実は火薬が仕込まれている「innocent play (2013)」、
ただの焼き過ぎたトーストではなく、トースト全体を均等に丹念に加熱し、
完全に黒いオブジェと化した「無題 (2012)」。
“現物”であることと、ちょっとした気づきによって、
アートの存在意義とその可能性を探求しています。
ご注目頂ければ幸いです。(KUNST ARZT 岡本光博)
















innocent play

2013
おもちゃ、火薬










無題

2013
ライター たんぽぽの綿毛 ボンド ガラス 板




アーティスト・ステートメント

今は素材の組み合わせで生まれるギャップを楽しんでいる。
今回の作品では、アートと関わることによって思ってすらいない事を口にしたり
突拍子もないことをしたり、自分が自分でなくなるような感覚を表現した。






トランスペアレント念仏

2010
ビニール 虫ピン 電球 



略歴

1990 和歌山県生まれ
2013 京都造形芸術大学 情報デザイン学科 先端アートコース卒業

個展
2010 トランスペアレント念仏 / gallery B37 京都造形芸術大学(京都)

グループ展
2012  vii -seven- / 同時代ギャラリー(京都)
2013 京都造形芸術大学卒業制作展 / 京都造形芸術大学(京都)
2014 shimaオープンアトリエ (京都)


CAREER
1990 Born in Wakayama ,Japan
2013 B.A. in Fine Arts, kyoto University of Art and Design

Exhibition

<solo>
2010 transparent sutra gallery B37 kyoto ,JP

<group>
2012 vii -seven- dojidai gallery Kyoto ,JP
2013 Kyoto University of Art and Design Exhibit of Graduation kyoto ,JP
2014 -shima- Open studio Kyoto ,JP





無題

2012
食パン



妹尾夢子さんによるレビュー(2014年7月)

会場に足を踏み入れたとたん、まるでデュシャンの「泉」を
彷彿させるかの様な柱とはしご部分を切断された滑り台が
神々しくスポットライトを浴び展示されていた。
ギャラリーの看板に掲載されていた作品が
気になっていたが生憎それは展示されていなかった。
平松大桂は展覧会では主に新作を扱っており、
日用品を組み合わせる事によるギャップを楽しんでいる作家である。
平松のこれまでの作品は見た目はポップだが
爆薬が仕込まれているおもちゃ「innocent play(2013)
火付口にタンポポの綿毛が差し込まれ着火すると
儚くも燃えてしまう仕掛けのライター「無題 (2013)
看板に掲載されていた全面が均一に万遍なく焼かれ
真っ黒にされた食パン「無題 (2012)
これらの作品はどれも記号化された指示媒体が
カスタマイズにより作品として独立するだけでなく、
それ本来が持つ機能性は奪われ、用途としての着地点を失いまるで
宙づりにされるような暴力的な要素も感じられる。
KUNST ARZT2014610日?15日まで開催された個展での
今回の作品もこれまでの経緯を踏んでいる。
展覧会タイトル「A kind of magic」にも見られるように、
平松の加える一手によって「モノ」は美術の場に置き換えられる事で
概念から切り離され見え方が変わる一種の魔法の様な物であると言えるが、
平松の作品からはさらに鋭利さを感じる。
展示されていた作品は実際の滑り台とそれが野外に置かれた写真、
その時の映像の三点で、タイトルは「rest in place」。
誰もいない草むらに置かれた指示体はまるで墓石のようで、
夜間に何の変化も無くひたすら時が過ぎていくだけの記録映像からは
人々の「喪失」が感じられた。
平松の作品に付きまとう「死」の気配が鋭さなのだとしたら
墓石のような滑り台は終着点なのかもしれない。
そしてモノの墓場は美術への再生であること、
まさに魔法のようなものであるのではないだろうか。