KUNST ARZT
window jack project vol 1
Shin-Puh-Kan (新風館)
May 11 - June 10, 2012





measure

この作品は、ものを『つくる』ことについて考えた作品です。
普段寸法表記は何かに対して、手段や方法として便われます。本展示では
何もない窒聞に対して、寸法が記入されています。
つ表り、寸法を手段ではなく、それ自体を目的として行なわれています。
例かに対してではなく、それ自体を目的とするごとで、何もない空聞から
私たちは「長さ』を『つくる』ことができます。何かを計り出し、その存
在を自分自身が知る事、それはつまり「もの』を作りだす行為に値するの
ではないかと考えています。
この展示はワークインプログレス(進行しながら制作される)ます。段々
と何もなかったはずの空聞が寸法によって埋め尽くされていく様子をこ覧
いただけます。
2012.5.11 (アーティストによるテキスト)

measureing act.1 May 10, 2012

measure <May 12-19, 2012>

measureing act2 May 20, 2012

measure <May 21-26 ,2012>

measureing act.3 May 27, 2012

measure <May 28-June 2, 2012>

measureing act.4 June 3, 2012

measure <June 4-10, 2012>






a pixel
2012

 この作品は「私が雪原を歩いていき、だんだんと小さくなり、
デジタル画像の構成要素の最小単元である一つのピクセルになる」という作品です。
一番右の大きい写真の中央の地平の黒い点がそれになります。
それによって、今まで画像(イメージ)を構成する集合によって成り立つ要素であった
ピクセルに対して、そのピクセル一つで表される存在というものが私の行為によって
作り出されます(=a pixel)。
その途端、その私という1ピクセルと同等にその他のピクセルも、
そのような存在として捉える可能性ができはしないだろうか、
ということを実験した作品になります。
つまり750×750=56 万2500 個のピクセルで構成されているこの写真は、
その数だけの存在の「可能性」を露にすることが
できないかという考えから作られました。
そしてこの写真は、世界をイメージ
(記号=言葉によってくくられ、対象を示す代わりとなるもの)
として捉えるのではなく、ピクセルの数だけ世界を均等に分割し(デジタル画像のこと)、
意味のない存在としての存在(一つのピクセルのこと※1)として
還元する機能を持つものとなると私は考えています。 (アーティストによるテキスト)





a cloud
2011

「雲という現象の中から『A cloud(=ひとつの、唯一の雲)』を作ること」
というコンセプトを元に、
2011年9月6日〜15日まで、
参加者にそれぞれ京都・滋賀の指定の場所に立ってもらい、
雲を両側から同時に撮影を行ないました。
撮影は、参加者一組を結ぶ直線上に雲が現れた時にのみ行われ、
左右反転した雲の像を写真に収めることを目的としています。
その方法で撮影を行なうことにより、
二つの写真の中で「同じ雲ならば左右反転した像をしていなければならない」
という必要性が生まれます。
その視点が雲に対してアイデンティティを生み出すこととなり、
『A cloud』を回収することができると考えています。
そして、この行為は世界の中でそれがただ「あった」という事実を、
同時に生きる私たちの日常の中に意味のない存在として
成り立たせることが可能なのではないでしょうか。
 (アーティストによるテキスト)




アーティスト・ステートメント
 そこに見る人が誰もなく見た世界は一体どんなものだろうかと、私はよく考えます。
例えば、雲はとても大きく、そしてすぐに形を変えてしまいます。
私がそれを大きな立体物として把握できないのは私の身体がここにあり、
この目でそれを見ているからです。
もし私が雲より、山より大きければ雲をぐるりと一瞬で見渡す事など容易い事でしょう。
世界は常に自分の身体を通して見られています。
だからこそ、認知できない事がたくさんあります。
しかし「そうであるはず」と私たちは知っているからこそ、
その先は知ろうとはしなくて済むのです。
私は敢えてそのような「そうであるはず」のことに対して、
それを確認する為の行為を行なったり、
そうであることに疑問を投げかけたりします。
なぜなら想像や感覚は見るものを簡単に超え、時には容易く騙されてしまうからです。
本当のことは目には見えません。
だからこそ私はただ、私たちに見られている「もの」の事が知りたいのです。
私がそれをどうみているかではなく、私たちは一体何を見ているのでしょうか。
 私が私の身体を離れ自由に世界を見渡すとき、
世界はもっと大きく、小さく、広がり続けるのではないでしょうか。
おそらく私は、そこに私たちに見られているであろう世界があることを
ただただ注意深く確認しているだけなのです。
2012.5.6 (アーティストによるテキスト)







2012年 京都嵯峨芸術大学 芸術学部 造形学科 油画分野 卒業
2010年 「年輪と人」三軒家アパートメントギャラリー(広島)
2012年 9月18日から23日 KUNST ARZT での個展












KUNSTARZTイベント1st 寺岡海「星をつくる / making of star」

9月22日(土)19:00 平安神宮前公園

「星」が流され始めた為に高度400mほどで終了となりましたが、
数億光年の星にまぎれるアートの新星を上げることができました!
途中、警官の職質を受けましたが、
「アートである」との主張になんとか理解?して頂けたようで・・・。
多くの方に見学・参加・協力して頂き、本当にありがとうございました。



寺岡海「世界と私のあいだ」展
2012年9月18日(火)から23日(日)
12:00から19:00 (月曜日休廊/最終日17:00まで)
a cloud, 2012 drawing
「世界と私のあいだ」展にむけてのアーティスト・ステートメント

「世界」とは一体何か。私は世界それそのもののことを知りたいと思っています。
その為に私は「見る」ということを問います。
なぜならそれは世界と私のあいだに位置し、
世界がそれを通過する際に何かが起こり世界そのものを確認することを
不能にしていると感じるからです。

 例えば、雲は遠いことで立体物に見え、大きいことで
その立体を把握することができません。
また、星は私たちのいる地球よりも遥かに大きいものであるのに、
あまりに遠いので点でしか見ることはできません。
そして私は世界に対してとても小さいので世界を全部見渡すことができません。
全部私の身体に対して大きすぎるのです。
もし私が雲や星に対してそれより大きければ上記のことは起こりえないのです。

このように世界と私のあいだにある、
この身体から見るという行為によって、
世界は分断され、
違う見え方をし、
違うものになり、
世界そのものを見ることを不能にしているのではないでしょうか。
(それは今わたしがここにいることの証明でもあるのですが。)
つまり、逆に私の身体、時間に捕われない視点から
ただ見ることは世界を全体として見ることであり、
それはいわば世界と私の「あいだ」を還元し、
みんなが同じものを見えるようにすることだと考えています。

 本展覧会では、そのような「あいだ」で起こってしまっていることを捉え、
雲と星、それぞれについての作品を制作し世界のあり方について考えます。
そして、今まで世界と私を隔てていた「あいだ」がなくなる時、
世界は一体どのように見えるのか。
私はそれが知りたいのです。

2012.6.30



KA002Multiple1
「雲をいろんな場所から同時に撮影する」
アクリル板、OHPシート
50000円 edition 5
2012





KA002Multiple2
「雲をいろんな場所から同時に撮影する」
アクリル板、OHPシート
50000円 edition 5
2012



KA002Multiple3
「雲をいろんな場所から同時に撮影する」
アクリル板、OHPシート
100000円 edition 5
2012

KA002Multiple4
「星をつくる」
2枚組みDVD
5000円 edition 50
2012